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㊥カメラ担当係 "S" です。本日もご覧いただきありがとうございます。
「PENTAX と RICOH の赤い糸」、三十年前ぐらいの青春ドラマっぽいタイトルで失礼します。まあ、この話をセールスさんから聞いた時は半信半疑だったのですが、どうもほんとの話しのようで、ネットをあちこち調べると、この話の元ブログにたどり着きました。
先日、P社の担当セールス「M」君が来訪。
- 「M」君 ... "S"さん、もともとRICOHが「旭光学」って名乗っていた話、知ってました?
- ㊥「S」 ... また~、そんな話しらないよ。
- 「M」君 ... 実は、日本カメラの8月号の記事にこんな話が載ってるんですよ。
あまり知られていないが、リコーは1937年にカメラメーカーとしてスタートを切ったとき、ペンタックスの旧社名である旭光学工業を名乗っていた。また、77年に自社の一眼レフにペンタックスが開発したKマウントを採用。もしかしたら両社は赤い糸で結ばれていたのかも......。
- ㊥「S」 ... へー、そうなんだ。知らんかったわ。
さらに、「M」君が、カバンの中から1枚の資料を取り出します。
- 「M」君 ... "S"さん、この資料を見て。クラシックカメラ専科の14号にも書いてあるそうです。
- ㊥「S」 ... ん、クラカメ専科「14号」。俺、それ持ってるよ。これこれ。
ということで、関連する記事をさがすと、巻頭にその記事を発見。
以下、引用。
現リコーは昭和11(1936)年、理研感光紙株式会社として、東京市に誕生したことからはじまる。
リコーのカメラのツールをたどっていくと、オリムピックカメラにいたるわけであるが、昭和9(1934)年ごろ旭物産から発売されたオリムピックA型にまでさかのぼることができるようである。
(中略)
昭和13年(1938)年、社名を理研感光紙から理研光学工業に改めるとともに旭物産との関係で旭光学工業(アサヒペンタックスの現旭光学工業とは別)を設立、その向島工場、大森工場で大衆的な低価格のカメラを目標に、生産の拡大を図るとともに、通信販売による月賦販売を行っている。
(以下、略)
とあるわけです。
そして、「M」君の持っている資料には、さらに踏み込んだ情報が記載されています。
「旭光学工業株式会社という名称は元々リコーの子会社でカメラ製造をしていた会社の名称であった。旭光学は旭光学合資会社としてスタートし、1938年にリコーより旭光学工学株式会社の名称を無償で譲渡をうける。」
うん......、そんなこと、この本のどこに書いてんだ!
それから、くまなく「クラシックカメラ専科14号」を読んだのですが、該当する部分が見つからず、?状態だったのですが、いろいろ調べてみると、その答えを「WEB」で見つけることができました。
元月刊「写真工業」編集長の方が開設されているブログ、「写真にこだわる」にその詳細があります。(URL http://d.hatena.ne.jp/ilovephoto/)
記事名は、2011-07-01の「リコーがペンタックス事業を買収」。(URL http://d.hatena.ne.jp/ilovephoto/20110701/1309539453)
(以下、引用)
ところでリコーとペンタックスの間にはおもしろい関係があります。そもそもリコーは、1936年に理化学研究所の発明品の工業化を目指した会社として「理研感光紙」として発足しましたが、1938(昭和13)年頃には「旭光学工業」という子会社を設立してカメラの製造に進出しました。当時のペンタックスは旭光学合資会社で、その後に旭光学工業と名乗るようになるわけですが、このときその「旭光学工業」という社名はリコーが無償で譲ったというのです。リコーは1977年発売の35mm一眼レフカメラ「リコーXR-1」と「XR-2」ではペンタックスKマウントを採用しましたが、これは当時の旭光学工業の松本三郎社長が、その昔の社名譲渡を恩義を感じPKマウントの無償譲渡を決めたというのです。この話は、その昔リコーの方から聞いたわけですが、今日的な買収のメリットに加え、そういうことが今回の買収の裏にわずかでもあるのではないかと思わせるわけです。
以下、引用。
現リコーは昭和11(1936)年、理研感光紙株式会社として、東京市に誕生したことからはじまる。
リコーのカメラのツールをたどっていくと、オリムピックカメラにいたるわけであるが、昭和9(1934)年ごろ旭物産から発売されたオリムピックA型にまでさかのぼることができるようである。
(中略)
昭和13年(1938)年、社名を理研感光紙から理研光学工業に改めるとともに旭物産との関係で旭光学工業(アサヒペンタックスの現旭光学工業とは別)を設立、その向島工場、大森工場で大衆的な低価格のカメラを目標に、生産の拡大を図るとともに、通信販売による月賦販売を行っている。
(以下、略)
とあるわけです。
そして、「M」君の持っている資料には、さらに踏み込んだ情報が記載されています。
「旭光学工業株式会社という名称は元々リコーの子会社でカメラ製造をしていた会社の名称であった。旭光学は旭光学合資会社としてスタートし、1938年にリコーより旭光学工学株式会社の名称を無償で譲渡をうける。」
うん......、そんなこと、この本のどこに書いてんだ!
それから、くまなく「クラシックカメラ専科14号」を読んだのですが、該当する部分が見つからず、?状態だったのですが、いろいろ調べてみると、その答えを「WEB」で見つけることができました。
元月刊「写真工業」編集長の方が開設されているブログ、「写真にこだわる」にその詳細があります。(URL http://d.hatena.ne.jp/ilovephoto/)
記事名は、2011-07-01の「リコーがペンタックス事業を買収」。(URL http://d.hatena.ne.jp/ilovephoto/20110701/1309539453)
(以下、引用)
ところでリコーとペンタックスの間にはおもしろい関係があります。そもそもリコーは、1936年に理化学研究所の発明品の工業化を目指した会社として「理研感光紙」として発足しましたが、1938(昭和13)年頃には「旭光学工業」という子会社を設立してカメラの製造に進出しました。当時のペンタックスは旭光学合資会社で、その後に旭光学工業と名乗るようになるわけですが、このときその「旭光学工業」という社名はリコーが無償で譲ったというのです。リコーは1977年発売の35mm一眼レフカメラ「リコーXR-1」と「XR-2」ではペンタックスKマウントを採用しましたが、これは当時の旭光学工業の松本三郎社長が、その昔の社名譲渡を恩義を感じPKマウントの無償譲渡を決めたというのです。この話は、その昔リコーの方から聞いたわけですが、今日的な買収のメリットに加え、そういうことが今回の買収の裏にわずかでもあるのではないかと思わせるわけです。
詳しくは、上記リンクから「写真にこだわる」のブログ記事で読んで下さい。
ほんと、長年この業界におられた方だからこそ書ける記事です。
ということで、「赤い糸」のお話しでした。
しかしもって、日本の高度経済成長を支えた経営者の「懐の深さや感謝の念」には感服します。
ほんと、長年この業界におられた方だからこそ書ける記事です。
ということで、「赤い糸」のお話しでした。
しかしもって、日本の高度経済成長を支えた経営者の「懐の深さや感謝の念」には感服します。
+++中古カメラ担当係+++
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