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阪神・淡路大震災から20年という節目を迎えます。
20年前の今頃、当時僕が住んでいた箕面の山沿いに建つ小さなハイツには、親戚の叔父さんが資格試験のため前夜から泊まりきてました。
夜遅くまであーだこーだとしゃべりまくり、地震の「じ」の字も思い浮かべることなく、就寝時間を迎えています。
そう、このブログを更新している時間帯でしたっけ。
就寝後、何時間経ったでしょうか。
僕自身、地震が来る前に目を覚ましていたのですが、何処からともなく聞こえてくる地鳴り(山鳴り)に何事かと、無意識に身構えていたと思います。
直後に強烈な揺れがきて、これが地震なのかどうかの判断すら出来ないほど慌ててしまいました。
側で爆睡している叔父さんがタンスやテレビの下敷きにならぬよう手で押さえつつ、空いた片足で叔父さんを蹴っ飛ばし、「起きろー!地震やー!!」と大声で叫ぶ自分。
(あの揺れでちっとも目を覚まさない叔父さんに焦りました)
窓の外でスパークする電線か何かがバシバシ光り、隣人女性の悲鳴が更なる恐怖をかきたてます。
「もう終わりや」という諦めの気持ちと、無意識に生き延びようとする行動とのギャップ、それらに妙な可笑しさを感じていると、地震は次第に収まりました。
「おい、テレビ点けろ、テレビ!」、叔父さんの第一声。
所在地一帯での停電はなく(遠くに見える信号機は消えていました)、直ぐにテレビのスイッチを入れました。
髪の毛ぼっさぼさのアナウンサーが慌てつつも的確な口調で、「これまでに体験をしたことの無いような地震が発生しました」と繰り返します。
また、何度も「しばらく余震が続くので、十分注意するように」ということを付け加えてはりました。
全国の震度なかに空白のポイントがあり、叔父さんが「あとから凄い震度が表示されるやろなぁ」ボソっとひと言。
その読みが的中したことになりますが、追って表示されゆく震源地「阪神・淡路」の震度は見たことの無い数字でした。
その凄まじさは、後々に公開されていく新聞やテレビ報道で知ることになります。
20年経った今でも、インターネットの動画サイトなどでたくさん公開されているので、当時生まれていなかった若い皆さんもご存知のことでしょう。
僕自身、一生の間にこんなにも大きな自然災害を体験するとは思ってもいません。
後にも先にもこれ一回きりだろうと思っていたところ、記憶にも新しい「東日本大震災」の発生はまさに脅威でした。
ここ最近では、異常気象や地殻変動の情報が目立つようになりました。
そんな自然界のなかで、必死に生き延びようとする動植物がいます。
本当に健気です。
ところがね、どうしても人間だけ(一部除く)が、その自然の摂理に反しているような気がしてならんのですよ。
昨今の報道を見たり聴いたりしていると、そう思いませんか?
大切な節目にぼやいてしまいました
続きを少しだけ⇒http://www.yaotomi.co.jp/blog/walk/2015/01/1995117-20.html#more
アップした画像は全てサムネイルです。
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CarlZeiss Makro Planar T* 2/100 ZF.2
懐かしい街角風情の多くは、震災の犠牲となってしまいました。
それでも復興を続ける神戸には特別な魅力があります。
CarlZeiss Distagon T* 2/25 ZF.2 (HDR)
観光地として名高い神戸ですが、僕にとっては幼少時代に親戚が住んでいた下町風情の神戸が好きです。
時々おふくろと訪ねていた奥平野浄水場近く(だったと思う)の大変クラシカルなアパート(画とは関係ありません)、一階の扉を開けるといきなり迎える急斜階段は毎回衝撃的でした。
アパートの部屋から見える神戸の街が印象深く、おぼろげながらも心の中に刻まれています。
付近の入り組んだ路地や、雑木林と廃墟を組み合わせたかのような場所で従妹たちと遊んだことも、ちょっとした思い出。
CarlZeiss Distagon T* 2.8/21 ZF.2 (HDR)
南西の方角、遠くに淡路島が見えます。
今ここに立つと、この広い範囲で大きな地震があったとは想像もつきません。
CarlZeiss Makro Planar T* 2/100 ZF.2
山裾にぎっしり詰まった生活環境。
CarlZeiss Distagon T* 2.8/21 ZF.2
人の絆によって支えられる街、神戸。
CarlZeiss Distagon T* 2/25 ZF.2
また会いに来ようと思います。
今日も お写ん歩ブログ にお付き合いいただき、ありがとうございました。
-K-